こんにちは、ぐんぐるです!
今日はいつもとはちょっと違う切り口で、千葉県我孫子市に伝わる「幻の計画」を掘り下げてみたいと思います。

その名も「手賀沼ディズニーランド」計画…!
知ったときぐんぐる、普通にワクワクしました(笑)。
過去文献などを調査・情報収集してわかったことをまとめてみようと思います。
誘致のきっかけは、まさかの海外視察

この計画が動き出したのは1958年。京成電鉄の重役がアメリカでディズニーランドを目にし、帰国後すぐに誘致に動いたのがきっかけだったそうです。誘致先として想定されていたのは浦安ではなく、千葉県の手賀沼一帯。
我孫子町(現・我孫子市)、柏市、沼南村(現・柏市)の3市町村にまたがる広大なエリアだったといいます。しかも1959年に東京オリンピックの開催が決まったことで、この計画は一気に熱を帯びていったとのこと。
オールスターすぎる推進メンバー

1960年には運営会社「全日本観光開発株式会社」が発足。大物経営者もずらりと取締役に名を連ねていたそうです。地元の期待も相当なもので、1961年1月号の「広報あびこ」では見開き2ページを使って計画が住民に紹介されたとか。正式決定前からここまで大々的にPRするあたり、当時の熱量が伝わってきますよね。
計画の規模が本当にとんでもない

温泉施設、ジェットコースターやメリーゴーランドなどの遊戯施設、プールやテニスコート、1000メートル級のロープウェー、高さ100メートルの「手賀沼タワー」、科学館、水族館、ヘリポートまで計画されていたそうです。沼を渡るロープウェーとか、令和の今でもなかなか斬新な発想…!1962年8月には手賀沼公園で起工式まで行われ、計画は着実に進んでいるように見えました。
頓挫の理由と、跡地の今
でも、ここから雲行きが怪しくなります。1963年ごろから「埋立地が住宅地に転用されるのでは」「他社に転売されるのでは」といった噂が広まり、地元自治体が要望書を提出する事態に。その後も工事は続けられたものの、資金繰りの悪化と手賀沼の水質汚染を理由に、1965年8月、正式に計画中止が発表されました。
その後、埋立地は宅地として分譲され、現在は「若松」という町名に。跡地の一部には千葉県立我孫子高校が開校しています。
そして計画中止から15年後の1983年、当時の関係者も参画していたオリエンタルランドが浦安市舞浜地区に東京ディズニーランドを開園させたというのも、なんとも運命的な話です。
もし実現していたら…ぐんぐる妄想タイム

※AIに、もしも開業していたら、、というイメージ図を作ってもらいました。(一部モザイク加工)
もし本当に手賀沼にディズニーランドができていたら…と妄想すると、ぐんぐる、ワクワクが止まりません(笑)。常磐線一本でアクセスできるレジャー拠点になっていたら、我孫子駅前の風景は今とは全く違うものになっていたはず。柏や松戸まで含めた一大観光ベルトが形成されていたかもしれませんし、手賀沼の水質汚染問題も、もっと早い段階で本気の対策が取られていた可能性もありますよね。 今の手賀沼は、静かな住宅地と自然が共存する落ち着いた場所。でも、この「幻の計画」を知ってから眺めると、また違った味わいが出てくる気がします。今度手賀沼を訪れた際は、ぜひこの歴史も思い出してみてください!
手賀沼ディズニーランド計画 まとめ
- 誘致の始まり:1958年(京成電鉄・川崎千春氏がアメリカで着想)
- 予定エリア:千葉県我孫子町・柏市・沼南村にまたがる手賀沼周辺
- 運営会社:全日本観光開発株式会社(会長:安井誠一郎氏)
- 起工式:1962年8月(手賀沼公園)
- 計画中止:1965年8月(資金悪化・水質汚染が理由)
- 現在の跡地:住宅地「若松」、千葉県立我孫子高校など